先日、日本とインドネシアの国交樹立60周年を記念して、インドネシア政府の奨学金制度「ダルマシスワ」で留学した同窓生約80人が集まり、初めての同窓会が開催されました。(東京・白金台の八芳園にて)
以下、ジベカ代表飯田のレポートです。
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1975年からスタートしたこの留学制度は、延べ約500人の日本人を受け入れ、インドネシアの文化体験を通し、日本とインドネシアの架け橋となる人材を数多く生み出してきました。
その第1号はジャワガムランの佐藤まり子さん(1975年)「インドネシア語を学んでいて偶然に選ばれたのよ」と謙遜されていましたが、日本におけるインドネシアのガムラン文化に先鞭を付けたレジェンドであることに間違いはないです。
ちなみに、その佐藤さんに遅れること7年、バリ島ガムランの留学生第1号(1982年)は私でした。(ちょこっと自慢、失礼!)
私が留学していた時代のインドネシアは、現在とはかなりちがいまだまだ発展途上の駆け出し状態。贔屓目に見ても裕福とは言えない国家状況下の中、日本をはじめ、世界各国から若者たちに貴重な留学という機会を作るインドネシア政府の(太っ腹)には、関心し感謝の気持ちは昔も今も変わりません。
世界の若い世代との関係を大切に考え、自国のインドネシア文化にプライドを持ち、それらを通して人と人、国と国の良い関係を築いていこうとした、このダルマシスワという文化政策。現在色々な方面で成果を出し結実していると言えるのだと思います。
調べた事はないのですが、経済大国の我が日本にも同様な文化政策はあるのでしょうか。なかったらヤバイですよね。
今後もダルマシスワ留学制度の発展をお祈りします。(飯田茂樹)
パーティの時など、みんなで簡単に踊って騒げるみたいなダンス。(マウメレダンスというらしいです。マウメレとは、インドネシアのフローレス島の町の名前)沖縄県で選挙に勝利した候補者が、カチャーシーと言うのでしょうか、嬉しい気持ちをストレートに表す踊りが時々TVに流れることがありますよね。そんなイメージがありました。好きなんです、こういうゆるい感じのとバリガムランみたいなガチなものが同じ土俵に上がっているようなインドネシアの音楽世界。指導役のアリさんとてもきまっていましたね。ファッションも!
大先輩ダルマシスワ1期生の佐藤まり子さん、お久しぶりでした
ちょっと混ぜていただきました
開場時にグンデル・ワヤンを演奏しました。隣が結婚披露宴会場だったので、ジャワのグンデル風にゆったり優しく演奏してと、依頼がありました(笑)
プンチャック・シラット(武術舞踊)日本代表の麻生大輔さんとお手合わせ(笑)すみません!
「八芳園」、東京都心にこんな広い自然があるなんて
帰りに渡されたお土産袋に入っていた、インドネシアのお菓子と「ダルマシスワ」マーク入りバッグ。まめだなあ、いいなあこういうの